1 名前:名無し 投稿日:2026/03/21 3:31:03 ID:OITo7oROp
ついに判明
2 名前:名無し 投稿日:2026/03/21 3:32:02 ID:qiQqfPnnV
甘味も
3 名前:名無し 投稿日:2026/03/21 3:32:03 ID:lZLdLg1IM
正解解散
4 名前:名無し 投稿日:2026/03/21 3:33:02 ID:nHpEno1ic
安い納豆買うとタレも辛子も入ってないからそれはない
6 名前:名無し 投稿日:2026/03/21 3:39:04 ID:EaHJhThnp
>>4
それ別に何もつけて食べないわけちゃうやろ
5 名前:名無し 投稿日:2026/03/21 3:34:00 ID:nHpEno1ic
そもそもタレより醤油で食うからってタレ余るやつが居るのも事実
7 名前:名無し 投稿日:2026/03/21 3:46:00 ID:CjqT6Tt0J
>>5
それが少数派だから概ねタレが入っとるんやで
8 名前:名無し 投稿日:2026/03/21 3:46:04 ID:hcmynbbhw
ほんとにうまい納豆食った事ないんだねかわいそう
9 名前:名無し 投稿日:2026/03/21 3:49:00 ID:FqOpfhG7z
納豆のタレって凄いよな
ちょっと舐めただけでもこれが”旨み”なんやなって分かる味する
11 名前:名無し 投稿日:2026/03/21 3:50:00 ID:SBsRWuj31
普通に醤油で食ってもうまいが
12 名前:名無し 投稿日:2026/03/21 3:50:03 ID:72h2/WB7c
醤油だと美味しくないしな
13 名前:名無し 投稿日:2026/03/21 3:51:01 ID:b58EgSCn6
黒胡椒だけの納豆も案外美味いぞ
14 名前:名無し 投稿日:2026/03/21 3:53:00 ID:6ks4084FF
昔は醤油が基本
15 名前:名無し 投稿日:2026/03/21 3:53:03 ID:IkOtCd5bK
甘ったるいカスみたいなタレばっかで草
16 名前:名無し 投稿日:2026/03/21 3:59:00 ID:gCRyEM3Ox
デフォで醤油つけて食う納豆巻きもうまいやろ
17 名前:名無し 投稿日:2026/03/21 4:02:05 ID:1w4opz/ve
素人やなぁ
醤油でも塩でも美味いし何にもつけなくても美味いよ
甘ったるい味好むのは子供や
18 名前:名無し 投稿日:2026/03/21 4:03:00 ID:heJV69/RJ
むしろタレ自慢の納豆はハズレが多い
19 名前:名無し 投稿日:2026/03/21 4:04:02 ID:xYDBYZRiW
ついてるタレ謎に旨いのなんなんやろな
20 名前:名無し 投稿日:2026/03/21 4:04:03 ID:CjqT6Tt0J
売れてる納豆にはタレが入ってる
それが全てや
24 名前:名無し 投稿日:2026/03/21 4:17:03 ID:SeoqipSjP
納豆って今高い?
23 名前:名無し 投稿日:2026/03/21 4:15:05 ID:4cSG7pUnB
好き嫌いの正体
– 経験の偏り
幼少期の食体験や文化的環境によって「好き」「嫌い」が刷り込まれる。
– 安心依存
好き嫌いは「安心できる選択肢」を固定化するための心理的装置。
– 思い込みの強化
「嫌いだから食べない」「好きだから美味しい」といった態度は、実際には味覚や文化の幅を狭める。
好き嫌いを超えるとどうなるか
– 相対化の力
好き嫌いを超えることで、対象を文化的・倫理的に位置づけられる。
– 高さの構築
広さを基盤にした選び取りが可能になり、成熟した高さが生まれる。
– 自由の獲得
思い込みから解放されることで、嗜好は「選択」ではなく「可能性」になる。
食の比喩
– 「納豆は嫌い」と思い込む人は、過去の匂いや食感に囚われている。
– しかし文化的に見れば、納豆は発酵食品の一形態であり、栄養や歴史の文脈で理解できる。
– 好き嫌いを超えると、納豆は「嫌いな食べ物」ではなく「文化の一部」として位置づけられる。
—
結論として、好き嫌いは思い込みであり、狭さからの必然に過ぎない。好き嫌いを超えることで初めて高さを伴う成熟が生まれるのですね。
好き嫌いに囚われる人は、未成熟を制度化しているだけで、本物の自由には到達していないのです。
博多名物おきゅうと(むしろ博多民のほうが食べたことない人が多い)
タレがないとただの海藻固めたやつ
たぶん納豆にかかわらずどこにもこういう物はあるはず
出汁というか納豆自体が自力で旨味てんこもりだから日本人にとっては美味いんだろ